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残れよ、ジュビロ  ~最後の入れ替え戦 第1戦 [J LEAGUE *]

20歳の松浦がアウェイゴールを叩き込んで、1-1。

アグレッシヴさでは、仙台が圧倒。
リーグ終盤から、天才・前田がまったく良さを出せない状況は、ジュビロの緊張状態の象徴だし、
代名詞だった“ポゼッションサッカー”の片鱗も、ない。
しかし、値千金のアウェイゴールを持ち帰る。

今年で最後になる入れ替え戦。
どー考えても、これまでの結果を見てもJ1チームには不利なことが多い。
今日もそんな流れだったし、
私自身、2年仙台に住んだし、ユキヒコ(大島の次にショックだった戦力外)は出てくるしで、
昇格してもらいたい気持ちはあるが、
幾多もの対戦での、歓喜や悔しさを思い出すと、
やっぱりジュビロには残ってもらいたいというのが、正直なところです。

かなわない頃は、なにやってもかなわなかったし、
横国で、タイトル決められたことだってある。
向こう岸の水色ナイアガラ・・・・・今思い出してもくやしい。

うちのチームカラーには希薄な“ふてぶてしさ”を、このチームは持ってました。
鹿にもそれはありますが、鹿の“ザ・ガテン系”のそれとは違って、
ジュビロのふてぶてしさは、どこかいつも客観的で、おべんきょーのできる先輩みたいな。
それだけにみせつけられた試合は、「こばかにしやがってぇぇぇぇぇぇ!」なくやしさがありました。
これは他サポの“余計なお世話”だが、オフトさんに変ってこっち、
なんつーのか、選手の“本意ではない”感を、あちらこちらに感じてしまうのだ。
「そりゃ、いくらなんでも原点に帰り過ぎだろ?」と、私も思った。
帰るにしても、いっぱいいるじゃん、“名将”。
とくに今年頭にうちとキリキリ舞した方などは、やっぱジュビロ愛つよいのだろーし、
今は気が気じゃないだろー。
(とゆーか、ジュビロだったらあそこまで、放っておけたのか?と聴いてみたい。)
うちとは合わなかったが、
同じ“積み上げたい”のなら、愛を持てるチームで積み上げてみたらいかがだろーか?


この土壇場にきて、“どたばた”した感じがないのは、
その伝統のふてぶてしさなのか、はじめて体験するプレッシャーから来るものなのか、
まったく判断がつきません。
特殊な2試合、入れ替え戦。
1-1に持ち込んでから、確実にキープをこころがけていたジュビロ。
「いやぁ、今のうちだったら(今のじゃなくても)、ガンガン2点目獲りに行くよなぁ。
ロスタイムとか2、3点差ついてからはしっかりキープするけど。
それで、必要以上に前がかって、カウンターでやられたりぃ、でへ。」と思って観てました。
入れ替え戦という舞台で、“試合巧者”っぷりは、どれだけの効力をもつのだろうか?
貴重なアウェイゴールが、必要以上の客観性につながらない事を祈る。

だいたい、ヨシカツがJ2なんて、ゆるされないよ。
時々、“ミラクル”も“逆ミラクル”も起こすうちだが、
ある意味、“激情型”ヨシカツは、象徴的だった。
若くして代表キーパーになり、まだ第一線にいるヨシカツは、
長いキャリアのなかで、まったく違うメンタルコントロールを身につけて今にいたる。
声をはりあげて、涙ながして、ガンガン(自分に対して)いつも怒ってた姿を、
すべて“笑み”に封じ込めて、長い。
この第2戦では、封印を解いても、いいんじゃないかと思うぞ。

仙台は、いい選手いるんだなぁ。梁とか。
ベガサポ、(気のせいでなければ)さっき『帰れコール』してたな、向こう岸に。めずらしい。
日韓W杯の日本最終戦は雨の宮城スタジアム。
「なんなの?この“人形”っぽさっ!」と、TV前でイライラしていたことが懐かしい。
『スタンドの雨ガッパが、半透明ではなく青かったら、結果が変っていたかもしれない』云々。
倉敷さんもえのきどさんもそんなこと言っていたよーな。
評論家の一部には、あのスタンドの雰囲気を敗因のひとつとした人たちもいたが、
いまや、サッカーの観方や楽しみ方やクラブをサポートすることが、日常と化した宮城。
(『帰れコール』を賛美しているのでは、ございません。ふだんのご様子ね。
ジュビロ選手が、“あいさつ”しに廻ったことが原因らしい。
たしかに“ゆるい考え”だ。でも、・・・・・・。)

ベガルタの功績は、おっきいわ。


*****************

それにしても、入れ替え戦を回避できてよかった・・・・・。
今さら、ほっと胸をなでおろす。
こんなん、ぜったい耐えられない、私。
(チーム的にも、こーゆー試合に強いチームでは、けっして、ないし。)


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『成績以上にクラブの誇りが大切』 その3 [footballistic *]



サポにとって、クラブは“永遠”である。

勝ちは、選手たちが積み重ねたことの結実だし、
だからこそ、負けるよりは勝ってほしいと祈る。
選手、スタッフ、フロントは、“よりよい方向”を目指しているのだから。
しかし、そのために、
楽しいはずのプレーが、楽しくなさそうに見えたりするのは、
負けよりも観ていてつらいし、
勝ち負けに執着するがあまり、同じエンブレムのもとに集まる人たちが、
お互いを信じられなくなるような状況は、よい状態とはいえないし、
“よりよいポジション”を高く高く定めるばかりに、状況と足元のバランスを崩して、
クラブがなくなるというようなことは、絶対に、あってはいけないことだ。

『続けること』それが、クラブを名のる最低限の責任。
“消滅”は、そのエンブレムに集うすべての人の心をさまよわせることになる。
その重さ。

マリノスの名前につく“F”。
私は、その当時、当事者ではなかったから、多くは語れないが、
永遠と思っていた存在が“消滅”。
Jリーグ史上、最大の悲劇である。
二度とおきてはいけないことだ。
その悲劇を名前に残すクラブ。
(いまだにデリケートな問題で、解釈はひとそれぞれだが、マリサポとしてはその自覚は必要だと思っています。)
“F”が象徴するものは、うちだけでなく、Jのクラブすべてが忘れてはならないこと。



来季は、運営が楽なクラブはないと思う。
そして、その“がまんの季節”が、どれぐらい続くのかもわからない。
私たちサポは、『ここに愛するクラブが存在すること』を、あらためて、かみしめるべきシーズンだし、
選手はここでプレーできることに喜びを感じてもらいたいシーズン。
苦しい時期というのは、きっと、“原点”を明確にしてくれる。


私たちの生活だって、これまで通りというわけにはいかないと思う。
チケット代だって、遠征代だって。
それでも、行けるだけ、試合に行く、たぶん。
そこにマリノスがあるから。
それが“生きる糧”となるから。

サッカーは娯楽だ。
サポを名のっていて申し訳ないが、マリノスより大切なことは、ある。
サポの立場で、「マリノスのために生きています」とは、言わないし、言えません。
(それは、マリノスに甘えて、自分をサボっている言い訳になります。
クラブスタッフや選手が口にするのとは、違います。)
ただ、そのエンブレムを身につける時間が、
ちゃんと、自分の心を支えてくれていることも知っている。
だから、なおさら“誇り”に思う。

誇りは、成績ではない。
誇りは、一緒に過ごした時間の長さや濃さが生むものだ。
脈々と、たくさんの人が紡いできた時間に対する敬意、それが、“誇り”だと、私は思う。
タイトルはそれが結実した最良のカタチでしかない。
(それだからこそ、目指すべき場所でもあります。)
だから、勝ち負けよりも、目の前の90分に真摯に向かわない事が、
なにより“誇り”を踏みにじる行為だと思うし、
「マリノス、なめんなよ。」と、腹が立つ。

『(成績よりも)クラブの誇りが大切』
クラブに関るすべての人とその人のすべての行動の原点。
クラブを続けるための運営も、広報も、
出資をしつづけてくれるスポンサーも、
トリコのユニを身につけてピッチに立ちことも、ボールを追う瞬間も、
エンブレムを身につけて、スタジアムに向かうことも。
その1点で、私たちは繋がっている。
その“永遠”の一部であるという、“誇り”。

どんな時も、このクラブのもとに集えて、チカラを与え合えることに感謝を。



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記事のタイトルは、『サッカー批評』から。
バイエルン・ミュンヘンGM ウリ・へーネスの言葉です。
GM3本立て記事、
あと2人は、フランスの地で奮闘する祖母井さんと、
「あぁ、これはもぉ、イタリアン・マフィアの価値観なのだな・・・・」ルチャーノ・モッジ。

GMって、たいへんだ。
監督以上に哲学が必要なんだろーな。
でも、クラブをメディアとして、たくさんの人を横(場所)と縦(時間)に結びつけて、
集う人みんなの心をふるふるとさせられる、偉大だ。
もう、これは、マリノス君にしかできないお仕事だな。great-marinos150.jpg





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