ぶきみな2時間でした・・・・・。 [Japan *]
なぜ、このキワキワにきてまで、止まらない“かごめかごめ”・・・・・。
おなじみの10ch解説者が連呼するまでもなく、
選手たちだって充分にわかっていたはず。
ドリブル禁止令でも出ていたのか?
移動の疲れがそんなにひどかったのか?
ここぞ!というところでのミスも多すぎた。
トルシエの時、
『まさにメイド・イン・ジャパン的、精密サッカー』と言われた片鱗が・・・・。
キックオフからずーっと酸素不足な状態でみてました。
気合は入っていたのです。
サウジ戦の観戦態度が、あまりにもラフだったのを反省し、
ドイツ以来のシドニー10番をひっばりだして。
なのに、ずーっと不気味なまま時間は経過し、PKに突入しました。
これが今の日本の実力です。
そう考えないと、納得はできないところです・・・・。
いいじゃないですか。
次のアジアカップ、しっかり予選からやりましょうぞ。
アジアカップらしい審判で、火がついたのは韓国でした。
とくに、ミョンボ先生の行動は、
韓国サッカー史に残るものだと思います。
ピムはおそらく退任、それでもミョンボ先生がいますから。
オシムの進退は・・・・・判断の難しい結果となりました。
テレビを観ていた全アジアの人は「やっぱりすごいぞ、韓国。」と、きっと思ってたでしょう。
“根性サッカー”“愛国心サッカー”に立ち向かえる日本のオリジナリティは、
いつみられるんでしょーか?
テレビでのサッカー観戦は、いいかげん飽きましたな。
J再開を待ちきれず、
バルサ戦とかに、やっぱり行っちゃうのでしょーか?私。
「よくやった。」とは迎えられない。
「おつかれだった。」とは言おう。
憲剛も、泣き崩れた羽生も、佑二も、帰ってきたらJの試合があります。
今日、部屋に7年飾ってあるままの01キリンカップのカレンダーをふと見たら、
7年前の3人が並んでました。
3つの代表の遍歴を、前線で歩んできた3人です。
高原も、佑二も、けっきょくのところ、やっぱり代えのきかない存在のままでした。
そこにくい込んでくれたのは、ケイタと阿部勇樹だったと、私は思います。
坊ちゃんは、なにか大きな変化の時期にさしかかってるのかと思います。
個人のプレーでファンタジーを起こすことより、どこまでも献身的でした。
PKを止められたまま、倒れこんだ羽生に、
最初に声をかけたのも(寿人と)10番でした。
それだけが、長い間見つめつづけている私には、うれしいことでした。
00年のCSで、鹿島に抑え込まれて、「何もできなかった」と、泣きじゃくり、
タオルを国立のピッチに投げつけ、スタッフや他の選手に支えられてた姿を思い出してました。
あれから8年です。
2010年まで、10番は、どんな存在になっていくのでしょうか?
そして、もう一度、W杯のピッチに立つのでしょうか?
韓国がミョンボで行くなら、
日本もイハラに向けて突き進んでほしい気がします。
通訳の言葉をアレコレ解釈するのは、
もう疲れました。
特にイビチャの無意味なロジックは、
もう聞きたくありません。
by nariblog (2007-07-29 19:35)
ナイスとコメント、ありがとうございます。
nariblogさんのブログの韓国戦後の物語は、
「そうそう、チームは生き物だし、それでも続くのよ、サッカーは。」と、
思いました。
オシムの進退に関しては、私は今の時点で個人的でも、
判断はできないです。
今日の選挙と一緒。
「このままじゃ、困るけど、かといってアンチで民主でいいのかよっ。」と。
韓国の協会が、ホン・ミョンボをピムにつけたのは、
とってつけたのではなくて、
本人の強い意思と、現選手たちの強い敬意があるのだと思います。
ある意味、縦系のしっかりしたあの国だからできた構図。
日本が逆に昨日の局面を向かえた時、
くまちゃんなのか、反町さんなのか、井原さんなのかというと、
やっぱりまだ準備が足りないような気がします。
(もし、交代があるとしたら、北京で反町さんが結果を出しくれたあとだと思います。)
私は、自分が選手としてピッチでみていた人が、
いつか代表を率いる日が、本当のオリジナリティの生まれる日だとおもってます。
(だから、ヒデのあの辞め方も許せなかった。)
トルシエの時も、ジーコの時も、
いい試合をしたのは、監督を必要以上にありがたがらず、
局面でピッチの判断、戦い方ができた試合だったと思ってます。
ジーコのアジアカップがまさにそうでした。
そのピッチ上の判断を、統一できなかったこと、実行できなかったことが、
“かごめかごめ”で終わった原因ではなかったかと、
1日立って思っています。
by raichi (2007-07-29 23:08)