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『楽しいおばけ』 [Marinos *]

『楽しいサッカー』って、『美しい国』みたいだ。
『サッカーの楽しさを、ありがとう。』 え?ほんとに楽しかったのか?

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【“楽しい”周辺の今日のつぃーと】

○「楽しい、楽しい」って、世の中“楽しい”に憑かれていると思う。お手軽な楽しさはすぐに消える消耗品。
  ↓
○“自分の手で生産”しなくなって失くしたモノだと思う。イメージすること。そのイメージに向けて試行錯誤すること。その楽しさ。商品を買う時に、その作成過程を知りたいとも思わない。たとえば、お惣菜買う。作り方わかる?
  ↓
○たとえば、ニットを買う。羊の毛がどうやって糸になるか?どうしたらその編み柄になるのか? 「知りたい」と思う人はどれぐらいいるんだろう?『かわいいっ!』の理由。
  ↓
○せめて、たまには考えてみたいと思う。ここにある自分の“お気に入り”を、自分自身の手で作れるのかどうか?どうやったら作れるのか?
  ↓
○時間をかけて、自分自身がイメージしたものに近づく過程。すぐに楽しめるものだけが“楽しい”ではないと思う。 『楽しいサッカー』も、そーなんじゃないのか?
  ↓
○そこを考えると、すぐそこにモノが溢れていない分、納得いくよーに手間隙をかけざるえない今の生活は、いい生活なのかもしれないとも思う。ただイメージを明確にできる、幅を持てるのは、モノが溢れるところで生活してきた収穫。
  ↓
○わざわざ自分で選択股を狭めるような感覚には陥りたくはない。それは、怠惰だ。
  ↓
○究極、石窯作って小麦からフランスパンも作れよ、ってことになるのだけど。へなちょこだからなぁ・・・私。
  ↓
でも、なんか、そーゆーこと。

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件の“説明会”とやらは、行われたのかどーかはわからない。
記者会見と説明会で、選手たちはどこまで納得できたのだろうか?
『ビジョンを示してほしい』ごもっともです。
それを言うからには、よっぽどの“覚悟”と“意見”があるのだろうと。
ただ闇雲にビジョンを聞いたからといって、
自分自身にビジョンがなければ、選択も検討もできないのだから。
「こういうクラブに在籍したい。」
「こういうサッカーを(チームで)したい。」
どーなんだ?
(“心の愛人”名言:「おまえにはピジョンがお似合いだ。」)

選手は、当事者である。
マリノスというクラブをカタチ作る真ん中は、ピッチの上での選手のプレーであると、
私は疑う余地もなく思い続けている。
しっかりとしたイメージを、意志を持って、
それを表現し、理解しあって、すり合わせて、『楽しいサッカー』にすればいい。
自分の足で走ること、自分の頭で考えることを怠らずに。

“自分自身がマリノスであること”そして“プロサッカー選手であること”の自覚と責任を持って、
「やる!」と決めて、サインしてほしい。
『俺たち“の”F・マリノス』ではなく、『俺たち“が”F・マリノス』なんだろ?

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この頃の(すべての意見を目にしているわけではないが、)
『こーきち君が大好きだったの(もしくは、失礼なことに“かわいそぉぉ”)』
→『和司さん、どーなの?』的な安易な空気がとても気になっている。
よくもわるくも和司さんの監督としての力量はまったくわからない。
いわゆる反動としての、マイナス感情が・・・正直、不快です。
来ると決まった人を、最初っから疑って迎えたくはない。
それでは、何度も同じことを繰り返す。

『サッカーの楽しさをありがとう』 ?
私自身は、今年、観ていて「楽しい!」と夢中になった試合は正直に言ってしまうと少なかった。
後半現場から離脱したことは大きいと思うし、言える観戦歴も残せなかったけど。
内容的に期待したことが満たされない試合が多かった。
去年の監督交代時からのチームの成長を観る加速度が、格段に落ちた。
だから、例年になく“勝ち”にこだわった観方をした。
『サッカーの楽しさをありがとう』と、こーきち君に思うのは、
長年、トリコロールの元、たくさんの子供達やいろんな立場の人にそれを与え続けてくれたことであり、
そこには思い切り敬意をあらわしたいし、
溢れすぎる愛情で、多くの若い選手が真剣勝負のピッチに立てたことは、
この先、財産にすべきことだし(それは、当の選手の意識や覚悟にもよる)、
大きなクラブの育成型と切り替えた初年度の監督を、
こーきち君が担ってくれて、よかったと思っている。
しかし、トップチームの09シーズンだけを限定してみると、
手放しで『サッカーの楽しさをありがとう』とは、ごめんなさい。

後出しジャンケンみたいなのはイヤなので、この時点ではっきり言いたい。
私は09シーズンを踏まえ、
和司さんはじめ、下條さん、樋口さん、新スタッフにおもいっきり期待します。
苦しかった09シーズンをチームとして結実させてくれること。
誰もが(こーきち君同様)トリコロールに染まった方です。
それぐらいの覚悟をもって、就任されたと思うので。
期待されない就任で、なんとなく“好好爺監督”で、シーズン通してほしくはない。
『マリノスとは何なのか?』その指針を、痛いほど、選手とともにピッチで示してもらいたい2010シーズン。

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フロントの仕事に関しては、
憶測するのもイヤだし、ピッチが輝いてれば知らなくてもいいことなので。
ただ、
(私欲や自己顕示の前に)『すべてはF・マリノスのために』なるのかどうか?だけ、忘れてほしくはない。
毎試合毎試合、選手が100%のメンタルでピッチに立つための仕事。
観客を、クラブを見つめる眼を、『優しく、完璧に騙してくれれば』。それを望みます。

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ゴール裏やスタンドで、ピッチを見つめる側としても、
『楽しい』なんて、ひとそれぞれ。
試合度に仲間と声を限りに後押しすること、好きな選手が躍動すること、サポ活で“参加してる”実感、
うなる試合展開・采配、“勝つ”こと、    ほんとにひとそれぞれ。
それぞれが、このオフにこそ、あらためて考えたりできればいい。
トリコロールの一員として、自分はどこに楽しさを感じて、トリコロールから離れられないのか。
そして、自分自身がトリコロールでありつづけるために、
自分自身ができることはなんなのか。

私は、
チームとしてできなかったことが、何試合後かにできていて、チームに根付いていく様子を観るのが楽しい。
悔しい想いをしたに違いない選手が、何試合後かにキラキラと納得した表情でゴール裏にやってくるのが、楽しい。
何年も何年も、トリコのユニを纏っている選手が、
年齢とともにチームで担うポジションを変え、たくましくなっていく様子を観るのが、楽しい。
トリコロールの誇りを賭けた“ひりひりとした試合”を観るのが、楽しい。
ピッチとスタンドの熱が呼応しあうトリコロールのスタジアムが好きだ。
その美しい熱の一部でいられることが、楽しい。

2010年は、毎試合、毎ホームゲーム、同じ空間にいれることは難しい。
それでも、TVで間を繋ぎ、
できるだけ、できるだけ、年チケを持って横浜に行きたい。自分の足で。
その時は、瞬きしないで1プレー1プレーを心にとめたい。
横国の、三ツ沢の、隅々で起こることも、心に刻みたい、自分の眼で。
試合で、感じたこと、思ったことをかみ締めて、怖がらずに、すこしずつでも残したい、自分の言葉で。

それが、私にとって“楽しい”をおばけではなく、リアルにする方法だと思ってます。

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