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未完のカタチ  桑原監督解任 [Marinos *]

キナくさい報道まであったりしたわりに、
昨日の終了後も、大きなブーイングはなかった。
まぁ、ホーム自由席といっても、緩衝地帯(めずらしくガードマン付き)新潟側にいたので、
オレンジの歓喜のお祭り騒ぎが蔓延していて、
(ものすごい悔しいんだな、あの席・・・・負けると。)
ゴール裏の様子は聴こえてこなかったのだけど・・・・・不気味に静かだった。
川崎戦と同じ。
私自身、選手があいさつに来た時、
いったいどういう反応をしていいのか、まったくわからなかった。
拍手も、ブーイングもできず、ただ見つめて、押し黙るだけだった。
果敢に攻めたことは確かだ。そこは称えたい。
しかし・・・・・・。です。
たぶん、ゴール裏も一緒だったんだろう。

発表がありました。
オフィシャルより早く、ご本人が発表されちゃったのですが・・・・。
辞任ではなく、解任。
私も「もう、いいじゃん・・・・。」と、はっきりと思ってしまった人なので、
「ありがとうございました。」とか言えないです。
しかし、最後まで辞任を選ばなかったことに、桑原さんの覚悟は感じます。
4連敗16位だけ残して「あ、やっぱり、オレ無理。じゃ。」は、なかったってことです。
そこには、敬意をひょうしたいです。

ここ数節、めちゃくちゃストレスのたまる試合が続いた。
決まって“かごめかごめ”に陥るパターンに、「つ、つまらなすぎる・・・。」とも思った。
が、あの流れの中で1本でも決まって1勝でもしていたら、「おもしろい」と思えたのか?
そうなのかもしれないです。
しかし、私自身が、もう混乱していたのです。
どれぐらい『おしいシーン』にめぐりあっても、二コリとも、できなくなっていたのです。
川崎戦で兄のFKが決まっても、喜べなかった。
サッカーを観る喜びが麻痺しはじめてました。
ここ3節ぐらいは、意地だけでスタジアムにいたような感覚さえあります。
観ているこっちがそうなので、
ピッチで戦っている選手のはがゆさといったら、想像もできない。
桑原さんの下、選手が目指してきた“未完のカタチ”は、もしかしたら、
とても感動的な誇れる“カタチ”になったのかもしれない。
その一抹の希望は、
うちに関る選手、スタッフ、サポ、全員にあったと思う。
だから、大きなブーイングや、応援拒否や、解任コール、そういう状態にはならなかったんだと思います。

あきらかな「それ違うだろ?辞めてくれ。」とは異なる、不思議な。
このあいまいな気持ち悪い解任劇は、
今は、あいまいなまま、心に残すのが、いいような気がします。
無理やりすっきりすることは、蓋をすることのような気がする。
このじくじくを携えたまま、半シーズンを戦うのが、
うちの今シーズンの仕事になったのだと。
もしかしたら、シーズン末に、いやもっと先かもしれませんが、
「ありがとうございました。」と、言えるのかもしれないです。

監督交代で、劇的にチームが変る事は、ないと思っています。
しかし、「切り替えて、切り替えて」と試合が終わるたびに口にするものの切り替えられなかった選手たちにとって、
ここで切り替えられないと、いったいいつ切り替えるのだ?という“時”です。

『まず1勝!まず、1ゴール!』 そこからです。

選手には、自信と自主性を手にしてもらいたい。
誰が監督だろうとも、ピッチで戦うのは選手でしかない。
ベースを作ったり、方向性を示すのは監督だが、
局面局面で、一瞬一瞬の判断は、選手。
ピッチで起こってる問題を、人のせいにせず、
ちゃんと打開していける判断と挑戦。
それができる自信と余裕。
そして、それが、共通で認識できて向かえること、活かしあえること。
これまであたり前にやれてきたことを。

麻痺してフリーズドライしている私は、
まずゴールを喜べるニュートラルな気持ちと、
「よし!行ける!」という期待する気持ちと、
ひとつプレーにフルフルするサッカーを観る喜びを、取り戻したいと思います。


きっと、早朝会議にちがいない。 [Marinos *]

明日のマリノスタウン。

***************

監督が変っても、そんなに劇的にチーム状態が変るわけではない、と、思う。
逆に、マイナスに出ることだってある。
しかし、正直なところ、「もぉ、いいでしょぉ・・・・・。」という気持ちです。

オジーの時は、
私も観戦初心者だったので、戦術どーのというより、
ただ「なんであの(連れて来た)ダメ外人に固執するのか?」とゆーのがあった。
ラザロニの時は、
実はよく覚えてないが、
「なんか、先ない気がしてきた」矢先だった。
それでも降格を救ってくれた監督なので、感謝はあったし、
ドゥトラは残ってくれた。
岡ちゃんの時は、
2連覇のあと、チーム全体に“勝つ気の急降下”を感じて、
信頼していただけに、腹がたって、腹がたって、
前半でスタジアムをあとにしたあの美園の道。
(途中で帰ったのは、後にも先にもあの試合だけ。)
そしたら、自ら辞任。
それでも監督業を超えたクラブへのヴィジョンがあった人だから、
とてつもなく残念だった。
(その後、伴ちゃんも辞任・・・・・。)
早野さんの時は、
なんとなく、わかってた。
(でも、水沼君は残してくれると思ってた。>クラブ)

と、これまで、
「もぉ、いいじゃん。」と、自ら強く思った事はないです。

今回は、思ってます。

今日のシュート26本が1本も決まらなかった・・・・・・・。
それは、運だけの問題ではない。
選手ひとりひとりの気持ちが、ゴールに結びつかないのは、
“過程”に問題がある。
シュートに持っていくまでの、リーグ戦のここまでの。
正直、観ていても、点が獲れる気はしなかった。
それは、私自身が、
「ムリだと思う・・・・・。」という気になってしまっているからだ。
サポたるもの、いつも“信じて”いたいとは思う。
しかし、いくらきれい事を言っても、
「つまらない」し、「いらいらする」し、「勝てる気がしない」と、
そういう状態になっちゃってることは・・・・・事実だ。
もう、「おしいシーン」とか、「いい内容」とか、「圧倒的ポゼッション」とか、
『いいかげんにしてくれ・・・・。』なのだ。

私は、“勝利主義”ではだんじてない!
しかし、選手が“らしく”なかったり、
どんどん疲弊していく様子は、みたくない。
そこにはやっぱり、“勝利”というカンフル剤は絶対的に必要なんです。

ジュビロのあの黄金期を作った方だ。
青写真はご立派なものだろう。
しかし、その青写真は、うちじゃなくても同じなんだと思う。

その青写真にそぐわないからといって、
選手が自信をなくすのは・・・・・・・困る。
現実をみた応用力というか、微調整というか、策が・・・・・・ない。
ゴールを奪えないポゼッションサッカーで、
カウンターもサイド攻撃も下降、“伝家の宝刀”さえ錆び付いてきている・・・・・。
毎度毎度、残り10分で出される選手に、
“ミラクル”を期待するのは、あまりに酷だ。
どんな監督下でも、
局面局面では、自立した意志をみせてきたうちの選手たちが、
まるで人形みたいに見えてしまう・・・・・・。
その状況が、なによりイヤだ。
セットプレーや、チャンスの時間に、
「よし、ここで行ける!」と、心底思えなくなっている自分もイヤだ。

バス停に向かう歩道橋で、サポ同士の会話。
「〇〇、来てくんないかなぁ。」
「おまえ、この後におよんで何いってんの?
このままの調子だと、うちの選手が逆に狙われるよ。
出てっちゃうよーな状況だよ。」

監督だけが原因ではないと、思います。
でも、自信や信頼、自主性をこれ以上マイナスにしないためだけにも、
『監督はマリノス君』でも、ぜんぜんいいです。









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