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“兄”への期待と信頼の形成過程。 [Marinos *]

『Get sports』で、兄のインタヴューがありました。

このブログでは、山瀬功治のことは、“兄”と書いてます。
それは、弟の山瀬幸宏のほーが、うちの在籍が長いから、
山瀬とゆーと幸宏という感覚です。

ぷらてにさんのところに書いたコメントと重複しますが、
正直に言いましょう。
私は、移籍時、兄を“リセット君”と呼んでました。
「・・・・・何回リセットするんだ・・・・。」的。
どんなにサポが、「いやぁ、いい補強だ。」とか「さすが山瀬だ。」とか言ってても、
私は、全面的には信頼していませんでした。しばらくの間。
まぁ、来てすぐにまたピッチに立てない状況になってしまったのも、ありますし、
移籍時のインタヴューが、どーも「自分が、自分らしい」だったから。
「赤いチームから来て、いきなり何をおっしゃってるのかしらぁ。」でした。
そして、2年目にして、NISSANの10番が、兄に。
スタジアムのチビッコたちの10番レプリカが、
“NAKAMURA”から“YAMASE”に、刻々と変っていくのを、
ずーーっと、複雑な思いで見ていました。

兄に対する、言いあらわしようがない思いの伏線には、
うちのチームと坊ちゃん(あ、中村俊輔のことです。)との、
複雑な関係の記憶と、また相反する蜜月の月日の記憶が、私の中にあるからです。

今ではすっかりチームサポで、スコットランドの試合もコンスタントに観てはいませんが、
私がマリサポとなって、横浜に通い始めたきっかけの選手は、坊ちゃん(とマツ)でしたから。
当時たくさんいたマリノス=(<)中村という方程式のサポでした。
それが、マリノス>中村と、変っていることに気がついたのは、01年、あの残留争いの年です。
ここでは、何度か触れていますが、
押しも押されぬ国民的サッカーアイドルだった坊ちゃん。
チームも、01年に、完全な坊ちゃんシフトをしき、
牛ちゃん(現・京都)、追浜王子(現・東京)、ハユ(一時・緑)、ユウキあたりが、
華々しく若手デヴュー。
しかし、そのころ、坊ちゃんは「俺のサッカー、イマジネーション」というよーな、
サッカーおたく自閉気味な時期で(失礼、今は違うよ。)、
正直、チームの中心になって、若手を引っ張るよーな度量は・・・・残念ながら。
で、若手一斉レンタルとなり、残留争いに突入し、
マツが将軍化し、サポごとチームを牽引しつづけ、
(選手は金髪、サポは盛り塩@三ツ沢とか、あったなぁ。
坊ちゃんは抵抗するもマツによって茶髪。)
なんとか、最終節の神戸ウイングで、残留を決めたわけで、
あの年は、チームも満身創痍だったけど、
けっきょく、当の坊ちゃんも、心身ともにとことんまで調子を落とした、とてもつらい1年だったわけで。
どんなにダメダメだったかとゆーと、最悪の時は、
誰かがゴールを決めても誰も祝福に寄っていかないとゆーよーな状態でした。
(これは02年から、うちの壁に貼ってある写真です。たぶん俺王の初ゴール。
こーゆー普通のゴール後の祝福シーンが、とてもうれしかったし「あぁ、やっとここまで(涙)。」だったわけです。)
08-03-24_02-18.jpg

その年に、サッカーは一人の選手がやるものではないし、
ひとりの(若い)スター選手を周りが持ち上げることや、
いわゆる“ワンマンチーム”のシフトが、
どんなにこわいものか、どんなにつらいものかを、思い知ったわけです。
(坊ちゃんの名誉のために言うと、01年後半には、マスコミや個人ファンよりも早く、本人はちゃんと意識変革してました。)

前置きが長くなっちゃいましたが、
兄の移籍は、私にとってそのこわさが背後にあったのです。
「猫(マスコミ)も杓子(サポ)も山瀬、山瀬ってぇ。兄一人でサッカーやるわけじゃないんだからねぇ。」
あぁ、かわいそうな兄。
身に覚えのない01年のトラウマをひとりにかけられて・・・・。
だから、私は、兄に対して、ひとりずーーーーっと、厳しかったわけです。
ごめんね、兄。(謝罪。)

兄自身も変ったんだと思います。
仲間への敬意というか。
いや、前からあったんだとは思うんですが、表現できるようになったというか、
「そーゆー選手なんだわね」っていうのが、そんなマイナス感情をもった私にもわかるようになった。
「およぉぉお。」というプレーで喜ばせてくれることは、数知れずでしたが、
なによりもそこがとても大きい。

ヒーローインタヴューでは、いまだに(久保の時とは別の意味で)どきどきしますが、
どーも、この人、プレーヤーとしての範疇を超えるタレント性とかいい人度を自制しているところがあり、
「ほんとに、理解されずらい人ね。」と。
この3月から兄のブログがはじまっています。
その中にも、彼の生真面目さが溢れています。
これは、彼にとってもとてもいいきっかけになるよーに思います。

そのブログの中にもありますが、
今季、兄のポジションがひとつ下がり、ボランチに。
2列目から2ケタのゴールを獲ったプレイスタイルを思うと、
これは、もう、挑戦です。
ロペスの存在もあると思いますが、このポジションをこなすことが、
兄のプレーヤーとしての幅を、また、広げてくれるんじゃないかと、
私は、期待しています。
(坊ちゃんだって、あのブーブー言ってた左サイドで得たものはあったはずだし。)

とにかく、もうスポーツ選手として一生分ぐらいの怪我の経験はしたのだから、
怪我なく、いつもピッチに立っていてほしいというのが、
今の兄に対する気持ちですかね。

信頼が温まるのにこれだけ時間のかかった選手は、正直いないです。
でも、時間がかかった分だけ、けっこうしっかりした信頼です。
(安貞桓の時も時間がかかりました。が、歴代一番信頼したFWです。)

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坊ちゃんが、日本に帰ってくるのであれば、
やっぱりうちに帰ってきてほしいという気持ちは、正直あります。
一部坊ちゃんファンの間では、代表の兄の10番に不快感を持ってる方もちらほらいらっしゃるよーですが、
兄も坊ちゃんも、名実ともにりっぱな大人のプレーヤーなので、
日本のサッカーのためには、大切な選手です。
有能なプレースタイルの異なる選手が、ひとつポジションに切磋琢磨して複数いることは、
サッカーの幅、奥行きが広がるとゆーことですから、
(あとは、監督の方向性です。)
本人たちの意志や努力や成長や歩いている道を、信じてしっかり見守ることが、
私たちサポのおつとめなんじゃないでしょーかね。

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