無事、突破。 [Japan *]
最初こそ、どきどきしたが、
4点めが入ってからは、「あー、よかったぁ。」と思って観てました。
日本で観ている私が油断してたのに、
37度のピッチで、以後失点しなかったのは、すばらしい。
相手があれだけドン引きでも、パスまわすサッカーをやろうとするのが、なかなか感心。
ハノイの気候にも、慣れてきたようだし。
贅沢を言えば、羽生、水野、寿人、投入後、
1点ぐらい観たかったです。
まぁ、カタチは作れていたので、いい練習にはなったと思う。
バックパス祭りの状態で、
私もスタンドのハノイの人たちと一緒に、
「UAE、そのままがんばれっ!」になってました。
04年の決勝で、
中国の君が代に対するブーイングを聴いた時のショックを思い出していたので、
ベトナムのみなさんが、君が代に拍手をくれた時は、
「オリンピック、北京じゃなく、ハノイに変更!」と、思ってました。
過去のことは、反省することはあるけど、
04年の反日は、ほぼ政府のくわだてによるブームに近く、
それを、スポーツの大会に持ち込んだことが、ほんとうに残念でした。
中国が好きで、お仕事もずーっと一緒にやってる私には、なおさらショックでした。
あの頃も、
今回開催国の東南アジア諸国は、日本に対して、理解をあらわしてくれたのを覚えています。
同じ04年に、なでしこのアテネ予選を見ていて、
駒沢でvsベトナム戦を観ました。
その時、メインスタンドでベトナムサポのすごく近くで観たのですが、
その時のベトナムサポの印象がとても良かったのもありました。
国際試合によくある、相手の国をどーのという観方ではなく、
ほんとに純粋に、まっすぐ自国を応援する黒い大きな瞳に、ちょっと感動してました。
で、また、女の子たちがみんな“ビューティー”なわけです。
今日と同じ、赤に黄色い星のTシャツで、
ほとんどの人が、余計な贅肉もなく、無駄のない体型で、
黒い瞳をくるくるとしながら、試合に夢中でした。
なんだか、こっちまで、気持ちの洗濯した感じだったことを覚えてます。
異次元の純粋さというか、
Tシャツもあいまって、“松本大洋”的世界が展開されていて、
スタンドがファンタジックでした。
「私、いつか、絶対にこの国に行く!」と、思いました。
なので、
ベトナム、進出できてよかったです。
開催国ということを真摯に受け止めて、今できる限りのサッカーをまじめにやった結果だと思います。
決勝トーナメントで、また試合をすることで、
リアクションサッカーの次の段階を、考える機会にもなると思います。
リアクションサッカーといっても、
あの生真面目さやスピードは、自国の体型や国民性を生かした、“らしいサッカー”になってることが、
(ベトナム縫製とか、アジアではものすごく美しいのです。納期にもルーズじゃないし。)
これからの伸び代を期待できます。
がんばれぇ、ベトナムぅ!
あ、ベトナム賛歌になってしまいました。
04年のアジアカップは、正直、決勝トーナメントからしか覚えていないのです。
それだけ、死闘だったということ。
ここから、です。
やっと、“セルじぃ”もベトナムに飛べますね(笑)。
坊ちゃんは、あの無精ひげをどこまで伸ばすつもりなんでしょーか?
グループリーグであんまりセットプレーを蹴らなかったのは、
トーナメントに向けて、“秘策”がある、と、期待したい。