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ポゼッションの最高の意味 ~CL/final バルサvsマンU [all over the world *]

このブログでは、1年に何個も増えないカテゴリー“all over the world * ”。
ほぼJリーグ観るのに忙しく1日24時間しかないのだから、縁遠くもなる。
今日の決勝だって、頭のほぼ半分はマリノスのことを考えながら観てたので、
万が一、欧州サッカーファンの方がご覧になってても、
以下、あまりおもしろくもないと思います(笑)。

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“世界中のプレーヤーとファン、誰もが憧れるバルサ”のみごとなワンサイドゲームで、
09CLの幕はおりた。
マンUサポにとっては、こんなに屈辱的な試合があろうか?
しかし、なにせ“世界中のプレーヤーとファン、誰もが憧れるバルサ”なので、
世界のほぼほとんどがため息に違いない。
後半、多少手は緩めたものの、
前半あれだけ圧倒的にポゼッションされたら、
さすがのマンUも、リズムはつかめない。
掴もうとしても、45分では間に合わない。
それが、“ポゼッションすること”の最高の意味。
マンUだって、ただ個人の能力に頼るだけのチームではない。
あれだけの個が、“for the team”になれるクラブ。
しかし、今日のマンUは、最後のホイッスルまで“チームになること”を、許されなかった。

バルサは、“特別なスター選手”がいないわけではない。
メッシ、シャビ、プジョル、アンリ、イニエスタ、エトー。
キラ星のこどき“個”が消えて見える。
消えているのではなく、同じレベルの光り方でそれぞれを照らしているからなのだけど。
バルサ宇宙はそれで成り立っている。
利己ではなく利他に徹する星たち。
利他を考えることが、チームの“ゾーン”を呼ぶ。
(ロナウジーニョがいなくなった理由?)

毎年、毎年、CLファイナルは「すごいもの、観ちゃった。」と思うのだけど、
今年は「なんか、もぉ、わけわかんないエリアに突入しちゃってるよ。」だ。

このおそろしいチームと、年末対戦できるJチームは、
ガンバか?鹿島か?名古屋か?川崎か?




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決勝観ながら、「あー、やばい。やばい、やばい・・・」とお経のよーに言ってました。
折りしも我がマリノスは、今、“ポゼッション偏重症”になりかけているのだ。
どーも、うちは、(去年もそーだったけど、)ポゼッションにこだわりはじめると、
なにかにとりつかれたようにがんじがらめになり、
J屈指(と言わせてください)の個人能力を封印しはじめて、“かごめかごめ”がはじまるよーだ。
今朝、トリコロールの選手たちが早々に起きて、このバルサを観てしまったら、
「よぉーし、今日も繋ぐぞぉぉぉぉ!」と、マリノスタウンに向かってしまいます・・・。
もぉ、マツなんて、めちゃくちゃはりきってイニエスタ気分で運転しちゃって、
マリノスタウンに着いちゃってるよ、きっと。
バルサのパス廻しには、きっと誰もが憧れる。
きっとマリノスタウンだけじゃなく、
全国の少年サッカーチームからプロチームまで、今日はそんな勢いにちがいない。

「目指さなくていいからぁぁぁ。」とは、言いません。
(そんなに冷酷じゃないもん、私。)
しかし、あれは、1日2日で出来上がるものではないのは確かです。
下部組織から積み重ねて積み重ねて、“伝統”にしてしまったバルサの下地あってこそ。
90分を“自分たちのリズムで支配してチャンスをつくり”
“相手の時間を作らせない”ための、最高の手段。
しかし、それは、確実な個の技術あってこそで、
(プレシーズンマッチの度に「サッカーって、偶然とか運ぢゃないんだな・・・」と思い知らされたもん。)
“ポゼッション”自体が目的ではなく、“勝つための手段”なわけで。
その2点を忘れてしまうと、実はこれほど危険な手段もない。
ミスを狙われて獲られて、カウンター・・・・・がっくり。リズムも断絶。

今日の中継は、昨日のキリンカップと比べても終始“遠目”だった。
(地デジカ仕様ですよ・・・・アナログのちっちゃいテレビ用じゃないです・・・。)
スタジアムで観る感じにとても近い。

バルサのメンバーの脳裏にはみな、この共通映像があるのだろうと思いました。
よく解説でいう「サッカーを知っている」というのが、こういうことかと。
培った経験からくる共有の“感性”。
サッカーを“感じる”ことのレベルが異常なほど高いのだとも思った。
「ここでこーすれば、流れがくる。」とか、
「あいつ(味方ね)はここでスピードアップするはずだ。」とか、
「ここは、切らなきゃやばくなる」とか、
そういうことにブレがない。まったくあたりまえのように同時に判断する。
それができて、やっとバルセロナになれる。

すべての道はバルサには容易にはつながってない・・・・気がします。

なんか、ここからのトリコロールの課題は、
“ポゼッションとの折り合いのつけ方”なんだと思っちゃった。
がんじがらめで苦しくならないためには、
「何のために繋ぐの?」を、ちゃんと確認しあわなきゃいけない。
バルサだって、スムーズにやっちゃってるから目立たないけど、
局面は個人の能力がモノを言ってるわけだ。
“個の技の出しどころ”を、自分もメンバーもわかってる。
そこに向かうための道筋として、“長短”とか“緩急”とかが選びとられて、パス廻しのリズムが紡がれていく。

千真の臭覚・決定力、サカティの速さ、兄の突破力、兵藤の飛び出し、をいつ出すか。
健太がそれを司ってあますとこなく使い切れれば、もぉいうことないのだけどなぁ。
マツはそれをちゃんと感じて、全体をコンダクトしてくれれば。
はじめの1歩にそれぞれの得意があって、
あとは、活かす活かされるの矢印の方向は応用なんだから、
まず“個”の力のベースを、しっかり信じて出し切るのが、
“ボゼッションする”よりプライオリティ高いのだと思うけど。

あんまり寝てないから、妄想に近いものになってますかね?

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オリンピコの空気の震え方は、きっと、はんぱなものじゃなかっただろう。
欧州は歴史が長いだけ、スタンドもサッカーの観方を知ってる。
プレーに対する歓声のうねりが、図ったように一緒で、
それがあきらかに試合を勢いづける。
(坊ちゃんは、7年もあのうねりの中でプレーしていたわけで。)
Jリーグのスタンドも誇るべきものだけど、
その上に、あの歓声がのったら、「なんてステキ!」。
で、Jの中では、トリコロールのスタンドがそれに近い気もする。
(これも妄想でしょーか?)

ほんとに、もっともっと90分をちゃんとメいっぱい感じて、
ため息や歓声を素直に表現できるよーな観方をしたいと思いました。

おしまい。
寝まぁーす。

タグ:CL マリノス
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