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選手の真ん中。 [Marinos *]

ダウナーです。
マリノスのこととかカンケイなく・・・・ちょーダウナー。
どれぐらいかとゆーと、レディオヘッドの♪クリープで、号泣したいぐらい。
こりゃ、よっぽどだ。ま、そーゆー日もある。

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坊ちゃんはタイトル獲ったらしい。
J復帰とか、おいといて、目の前のことに集中で、いいです。
“夢見るサッカー科学者”(お〇くとも言う)。
きっと、スポーツニュースで誇らしげに放送するから、
誇らしく観よう。
せるちっくに関しては、ほんとに“おきらく姿勢”で、もーしわけない。
今は、“おいとかれて”もぜんぜんいいが、
やっぱり、神聖な90分を、同じ地点を目指して、同じ場所でくり返せることを、
やはり、一番望んではいるし、楽しみにもしている。

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佑二のNHKは、この頃の広報お仕事の中では、一番うなずけた。
(マリノスタウンも映ったしな。チームの名前も出たし。
ま「茂木さんには、佑二の前でシュートもドリブルもムリだろ。」は、おいといて。)
観ながら、「なんか、不思議なもんだな。」とも。

おわかりかとは思うが、
私自身、かなり“叙情派サポ”です。
それこそ、サッカー生で観はじめた頃は、
「こいつ、好きかも。」な選手のバックボーンの“物語”に、
よく“フルフル”したものだし、
サッカーも人間がやることだから、そーゆー楽しみ方はたぶんにあるが、
確実に「その比率は減っているんだな。」と、思った。

そりゃ、試合のない日は、玉石混淆の報道に目は通す。
その中から自分にとっての“石”ははじいて“玉”を記憶する。
ごーーーーーっ、とすべてストレートに受けとってると、
アップアップになって、目が曇るのですよ・・・・・自分で試合を楽しむ目が。
(もぉ、2000~2002あたりは、この感じにいやとゆーほど勝手に苦しんだので。)
選手のバックボーンにある物語的なものは、
付録として楽しみを増してはくれるけど、
(“花粉症”なんてゆーのとかは、
「花粉症だから調子あがんないのかっ?早く試合決めたいのか?だからドリブル突破か?」とか、
毒舌・冗談・雑談程度のことですね。ま、これもまた楽しいんだけど。)
けっきょく、目の前で観せてくれたプレーそのものにはかないっこないのです。

佑二が雑草育ちなのも(知識として)知ってるし、
(シドニー世代の選手のバックボーンには、それなりに詳しい。)
どんなにストイックにサッカー道的に極めてきたのかも(知識として)知っている。
でも、それが、佑二を誇りに思う理由の真ん中ではない。
緑から移籍してきてからの佑二の足跡を、プレーヤーとしての信じがたい成長を、
ずーっとスタンドから観てきたからだ。
ヘッドでは絶対に勝つ。
→を、フィードがうまくなってきた、もぉ足もいけるじゃんか。
→うっぉぉぉ、読んでる!読んでるよ。みたいな。
そして、その道筋にいくつもちらばっている“あのシーン、このシーン”。
横浜の鉄壁の要となり、“伝家の宝刀”に華をそえ、
メンバーを鼓舞し、チームを背負い、
そーゆーくりかえされたコンスタントな“あのシーン、このシーン”が、
私に喜びを与え、確固たる信頼になっている。
なにより、神聖な90分の中での“あのシーン、このシーン”こそが、
“中澤佑二の真ん中”であると、私は思ってます。

人は、人に惹かれる。
だから、今日のNHKを観た人が、横国に“中澤佑二の真ん中”を観にきてくれることを望む。
そこには選手の人数分の“真ん中”がある。
マツにはマツの、サカティにはサカティの、健太には健太の、勇蔵には勇蔵の。
その“真ん中”のために、選手たちは今を生きている。
ひとつチームで、愛しい選手たちの日々を観つづけられることは、
チームサポならではの醍醐味。

坊ちゃんの“真ん中”も、そろそろまた自分の目でみたいものだ。

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レディオヘッドのメンバーのバックボーンはよくしらないが、
こんな気分の日には、思い出す♪クリープ。
アーティストとアスリートって、そーゆー意味ではとても似ている。
1曲DLして、聴いて泣くぞっ!


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