『成績以上にクラブの誇りが大切』 その2 [footballistic *]
電話を切った後、“何にも変えられないもの”ってなんなのだろう?と、ふと考えた。
サポにとって、クラブとは何なのだろう?と。
単純に、「マリサポじゃなかったら、今よりぜんぜん味気ないのかもな、日々いろいろ。」と思った。
誰だって、毎日の生活は順調なことばかりじゃない。
大小さまざまな、いいことも、悪いことも、遠慮なくやってくるし、
うれしい気持ちも悲しい気持ちも、マーブル状態でやってきて。
横国の7F(スタジアム)にいる90分だけは、“はっきりと”しているのだ。
“歓喜の時”を待つ、祈る気持ち。濃度の濃い確かな時間。
その時間をくれるのが、クラブ。
20年間、一緒の時間を過ごしてくれた猫がいました。
(プロフィール画像のコです。)
永遠に続くと思われた彼女との時間は、3年前に終わりをつげました。
命あるものとしては、いずれその時がやってくることとわかっていても、
かけがえのない存在が、ある日いなくなるというのは、
やはり、身を裂かれるような・・・・・。
それでも続く自分の時間が、信じられなくもあったし、うとましくさえも思えました。
それが、2月のできごと。
そして1ヵ月後、06シーズンがはじまり、開幕戦。
その年の開幕は、いつもの年とは違っていた。
横国で、私はいいようのない安堵感に包まれていました。
『マリノスは、続くのだ。』
そこに、今年もちゃんとマリノスがあるということが、涙になった。
考えてみる。自分の周りに、“永遠”というものが、どれぐらいあるのかと。
くるくると変化する曖昧な世界にあって、“永遠”は、安堵である。
拠りどころである。
もちろん、あまたあるサッカークラブの中で、私がマリノスを選んだのは、
言ってみれば偶然で、
それは、どこのクラブのサポも変わらないと思う。
きっかけは、ひとりの選手だったり、ホームタウンに住んでいたり。
一緒に過ごす時間の長さや濃さが、観客をファンに、ファンをサポにしていくのだと思う。
ひとつパスにため息をつき、ひとつカットにうなり、ひとつゴールに喜びが溢れる。
敗戦に落胆し、勝ちを祈る。
どんなに悲しい事があっても、どんなにつらい事があっても、
その場所に行けば、ちゃんとそこにある。
だから、かけがえがない。
サポにとって、クラブは“永遠”である。
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