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“自分で考える力” ~『Number』715 [footballistic *]



読みごたえ、ありましたよ。
この頃は、サッカー専門誌とかサッカー本とかほとんど読んでなくて、
持ってた文庫本を読み終わったので、電車本がなくなり、
オシムと奥様の『Number』らしいショットがとてもステキだったので、購入したのですが。

これまで、日本サッカーに関ってきた外国人(+松井&祖母井さん)が、語る“NIPPON”。
ひとつ特集に、ひと記事づつ書けてしまいます、たぶん。

まぁ、この号自体もそーなんですが、
日本人は、なにかと“世界(世間)からどうみられているか”を気にするし、
外国っつーのが好きだ。
もちろん、得る事はたくさんあるし、マネすることは得意。
そして、それをもっと性能良く、高品質にするべく、
せっせせっせと自分たちの身体や頭を使ってきたことで、
高度成長期はあったのだと思う。
しかし、それも過去の話なのかなぁ・・・・と、思う今日この頃。
職人や生産をする人たちよりも、“うまくたちまわる職業”のほーが、もてはやされるから、
食糧自給率39%・・・・・しかし、まだまだ、外に“重い労働”や“ローコスト”や“贅沢すぎる要求”を突きつけつづけているし。
(このままの意識だと、誰も助けてくれなくなって、着る物も底をつき、餓死・・・・・こわーーーーーっ。)

あ、話がそれました・・・・。

オシムが代表監督就任の時、私はこんなことを思っていた。
オシムに関しては、対戦時に市原に「な、なんじゃぁ、それゃぁぁ。」という“ちょっとうらやましいサッカー”をされた経験と、
その功績での、監督就任はとてもうれしかったし、
就任後も、ちゃんとJリーグを“これでもかっ!”ぐらい観続けてくれて、
“日本化”というテーマで、ますます信頼が深まりました。
が、あんなにマスコミが大騒ぎで、
オシム支持=サッカーを観る目がある(=俺ってかっちょいい?)
みたいなマイナートレンドが、どーもキケンに感じた。

そーこーしているうちに、私が怒ったのがアジアカップ。
成長の過程として、いいサッカーはしている(のかもしれない)が、アジアの頂点に立てなくても、
さほど恥ずかしそうではなかった。(選手もね。)
当時、セルじぃが「最低の監督」と毒を吐いたが、
「セルじぃぐらいは、それぐらい言ってしかるべき。」と、私も思った。

健康上の問題で、監督の椅子を下りざるえなかったことは、とても残念なことだ。
それだけ、期待もしていたし、楽しみだった。
しかし、心のどこかで、
「オシムだったら、アジア突破はもっと苦戦していたかもしんないなぁ。(オシムの力量云々の問題ではなく)」とも思ってる。

このところ、岡ちゃんに対する批判も多いが、
私は、“経験”として、(少なくてもアジア突破までは、)岡ちゃんほど適任者はいないと思ってます。
(ウズベキ戦は、“らしさ”が裏目にでてしまった気もするが。)
そりゃ、そーですよ。だって、2年連続してうちを“結実”させてくれて、
その真摯さや、現状解決能力や、モチベーターとしての力も、
身をもって一番近いところで“哲学”を感じた、唯一の監督なのだから。
辞任を要求する人たちは、「じゃ、誰に就任してもらいたいのだろーか?」というのが見えてこないし、
私自身、自分の目で「この人に。」って、人は、強烈には、いないんです。
(ま、うちの“元総括本部長”の後釜問題もそーなんですが、)
だから、世間にある“誰か、外人監督”ってゆー空気は、ほんとにわからない。
日本人監督なら、そのカラーや“らしさ”もわからなくもないけども、
外国人監督となったら、「すいません、そこまで知らないです。」だ。

もちろん、サッカーに関して、まだまだ外国人に教わる事はたくさんある。
しかし、どーも、外国人というだけで、世間の“監査”が甘くなるし、
すばらしいキャリアをもった人ほど、
私たちが、『自分で考える』ことをおろそかにするような気がするのです。
(日常生活においても、)相手が誰であろうとも、どんなステイタスや権威のあるかっちょいー情報でも、
『(目的を見失わず)敬意をもって、疑うこと』は大事だし、
それをうけて『自分で考えて』選びとって蓄える、動いてみる、ということが、
ほんとうにむずかしい国なのかしら?と、(とくに自分の働く業界周りにおいても)つくづく思う。

この『Number』の中で、
外国人が見た日本に共通する項目は、何個か(コミュニケーション不足や“むだ走り”など)あったが、
その中のひとつに、『自分で考える能力が低い』というのがあって、
どーにも、それは、
サッカー業界だけでなく、やっぱ、「日本という国の習慣なんだろーなぁ。」と、
思ってしまうのだった。
封建に寄りかかって安心、安心、だった歴史から、
意味もわからずいきなり西洋化して、
『“自分らしさ”って言いながら“マス”のド真ん中ぢゃーん、君ぃ』みたいな現代まで。
(我の強い“点取り屋”が出てこないのも・・・・。)

ピッチの中の局面局面で、選手が自主的に考え打破していく力も、
スタンドでサポひとりひとりが、その試合をどう観るか、どう行動を選ぶのかも、
(祖母井さんもおっしゃってますが)
クラブが、サッカークラブとしての哲学をもってブランディングしていくことも、
サッカーのあらゆる場面で、
『自分で考える力』に物足りなさを感じることは、事実ある。
(上から目線にきこえてしまうともうしわけないのだけど、)
そのあたりに“未熟さ”を、感じてしまう。
もっともっと、自分で考える事を疎かにしなかったら、
もっともっと、日本のサッカーはおもしろくなるのじゃないのかしらん。
ひいては、私自身の毎日も、と、思った次第です。

『敬意をもって、疑いながら』読むと、とってもおもしろいと思います、この『Number』。

****************

蛇足ですが、
マリサポとして、気にかかってしかたがなかったのは、
ディドの履歴に、うちの名前が一切あがっていないこと。

マリノスタウンのタイルの色まで情熱を注いでいた岡ちゃんが、
いきなり“ファイティングポーズ”を奪われたこと。
伴ちゃんの辞任。
水沼君や、ディドがチームを去ったこと。
そして、今に至るさまざまなことが・・・・・・・どーしても、ひっかかってしかたがない。

現選手がプレーすることとは、切り離して考えますが。


タグ:マリノス
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