凱旋、10番。 [Japan *]
HPのサッカーのトップでも宣言(?)してますが、私は叙情派サポです。
そして、中村俊輔という選手には、ことさらそうです。
シドニー予選からとりつかれるようにサッカーを、彼を観つづけた私のようなサポにとって、
今日は至福の日だったと思います。
『ピッチにいる22人の選手のなかで、一番目立つ選手でいたい。』
が、
『一番いいプレーをする選手でいたい。』
に言葉が変わったのは、いつ頃だっただろう?
(私もそのうちのひとりだが、)デビュー以来、
彼は、サポやファン、クラブやサッカー界、(マスコミにとってまで、)たくさんの人にとって宝物で、
大事に思う気持ちは、どこかで“過保護”という状態を呼び、
その状態は、どんどん彼にとっても窮屈な、不利益な環境になっていた。
それを意識してか無意識にか、自らカゴの外に出て行った。
国立のJラストゲームの時、
もう生で彼のプレーを(簡単には)観られなくなるという気持ちで、
こらえられなくて、やっぱり泣いた。
そして、「こんなに淋しいのだから、“圧倒的な存在”になって帰って来い!」と、願った。
今日、その“圧倒的な”10番が、横国にいたわけです。
プレーはもちろん格が違っていたが、
何にも動じない揺るがない精神をも持って。
そのうえ、“父性”まで身につけて。
まだマリノスに在籍していた時、
「坊ちゃん・・・・サッカーは、ほんと1人じゃできないし、どこでも真ん中にいれるわけじゃないんだよ・・・。」と、時々悲しくなることもあった。
プレーではないところのコミュニケーションだったり、存在感だったり。
そこを克服しないうちに旅立ってしまったのが、残念でもあった。
正直に言って、「ダブル中村はない!」と思っていたのは、
そのあたりの協調性を、やっぱり疑っていたからかもしれないです・・・・・。
が、今日の10番の存在感は!!
中村俊輔が10番をつけてそこにいることに、
期待感以上に、
安心感と確固たる信頼をこれほどもてたのは、初めてのことだと思う。
高原や柳沢が、よく言っていた。
「ヒデさんのパスは、『ここまで来いっ!』というパス。俊輔のパスは『はい、どうぞ。』というパス。」
その元々の“優しさ”が、もっと強く、大きくなったのだと、私は思ってる。
W杯さえ、エンターテイメントにして去ってしまったヒデ。
屈辱を背負って、『続けた』中村俊輔の道のり。
「まったく、すごいよ、君は。」と、ほんとに誇らしく思いました。
もちろん、まだ贔屓目なことはわかってます。
それでも、弱い部分も狭い部分も観てきたつもりなので、やっぱりとてもうれしいのです。
「日本に帰ってプレーしたい」気持ちもあるそうだ。
マリノスは、“海外留学”とかの感覚ではなく、人を出すので、
戻って来る選手は、少ない。
が、日本でプレーするというのであれば、
やっぱり横浜の、トリコロールの10番以外は、許されないと思います。
コメント 0